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はじめに

2006年1月1日に、心臓血管呼吸器外科主任教授として就任して以来、早くも15年の月日が経ち、この度無事に退官させていただきました。この間、学内外の多方面の皆様に大変お世話になりましたことを心より御礼申し上げます。これまで、危ない橋を渡りながら不思議なくらいに無事にやってこれたことに安堵感と達成感を感じております。

さて、私は、15年前の教授活動のスタート時点で、15年間を「起承転結」に例えて、3年ごとの節目節目に起承転結を思い描いて教室運営にあたってまいりました。最初の「起」の3年は本当に手探りであり、今後の展開を図るうえでの人と場の基盤作りを行いました。そして、次の「承」では、本格的なハイブリッド手術や心肺同時移植そして心臓再生医療などの、日本初や世界初の新しい心臓血管外科の道を開拓しました。そして、次の「転」では、日本外科学会や日本循環器学会などの日本トップの学会の会頭もさせていただくとともに、毎年入局者の増加による医局の拡大、心臓手術数の1000例突破といった他の国立大学の追随を許さない国内ナンバーワンの立ち位置を築くことができました。そして、いよいよ「結」となって、研究も臨床もいよいよ成熟期に達し、心臓移植100例や人工心臓400例に達し、世界初のiPS細胞を使った臨床試験や人工心臓の長期使用など、日本の心臓血管外科のトップランナーらしい世界的業績を得つつ、国際再生医療組織工学会や国際人工臓器学会などの世界的な学会の会長もさせていただきました。このような中で、この1年間は新型コロナのおかげで、これまで突っ走ってきた15年間を顧みさせていただき良い機会を得ることもできました。

“守破離”という言葉もあります。千利休の茶道の教えともいわれ、道を究めるものの取るべきスタンスともいわれていますが、15年間を考えると、守破離のようにこれまでの教え伝統を守りつつ、ある意味それを破るような形で改めて新しいステージに離陸していくのは組織の発展の常かと思います。私に守破離ができたかどうかは、これからの教室の更なる発展に期待するところであります。私のいちばんの財産は、私が教授になってからの15年間に、女性心臓外科医10人以上を含む120名近い入局してくれた若手心臓血管外科医たちです。彼らが、どのように今後育ち、一人でも多くのスタープレーヤーたる立派な心臓外科医が、世界の心臓血管外科をいかに発展させてくれるか?私にとって、これほどの楽しみなことはありません。まさに“一樹百穫”であります。

また毎日いのちの現場で、だれのいのちも取り残さない医療を推進する傍ら、いのちの大切さや死生観を大事にすべきとの考えで、Social Innovationを起こそうと一般社団法人inochi未来プロジェクトや難病に苦しむ子供さんへのチャリテイーである大阪グレートサンタランにも携わってきて、学外の各界の多数の方々とともに、いろいろな交流や経験学びをいただき、中之島4丁目プロジェクトや大阪関西万博にも関わらせていただいてまいりました。

これからも、緒方洪庵先生がおっしゃった「世のため 人のため 道のため」とういう大阪大学医学部のSpiritで、今後も一人のプレーヤーとして少しでも社会のお役に立てる限り頑張って行ければ、大阪大学の発展に微力ながら貢献できればと思っております。これまでの15年間にわたり私の心臓血管外科教室の活動を支えてくださった、皆様がたにのご厚情とご高配に衷心より御礼申し上げます。そして、今後ともご指導よろしくお願い申し上げます。